研究内容

精神神経疾患の分子メカニズムの解明と創薬をめざして

 精神疾患は、多くの遺伝要因と環境要因が複雑に相互作用して発症すると考えられてきていますが、その分子レベルのメカニズムは未だほとんど不明であり、薬による治療の効果も、必ずしも十分ではない疾患もあります。したがって、脳・精神機能とその病気に関する研究の社会的意義は大きく、今後も薬学の重要な研究領域となるものです。
私たちはこれまで、最新の分子生物学的研究手法を駆使し、新しい薬の標的となる分子を探索して、その機能を解明する研究に取り組んできました。今後もこの社会的に重要な研究のゴールに向かって、たえず新しい研究手法を神経薬理学研究に導入し、薬学オリジナルな発想に基づく、創薬の基礎研究を進めて行きたいと考えています。

現在、私たちが取り組んでいる研究テーマは以下の通りです:

  1. 1)神経ペプチドPACAPの分子薬理学的機能研究
  2. 2)新規創薬標的分子の探索と機能解析-HPGB,RegIIIβ,CRTH2
  3. 3)新たな方法論による精神疾患の分子病態と創薬の研究-セロトニン神経のin vitro分化システムの構築
  4. 4)iPS細胞を用いた精神疾患のメカニズム研究と創薬への応用
  5. 5)脳内全細胞を可視化する新たな解析手法を用いた精神・神経疾患の新たな中間表現型探索

1)神経ペプチドPACAPの分子薬理学的機能研究

 PACAP(pituitary adenylate cyclase-activating polypeptide,下垂体アデニル酸シクラーゼ活性化ポリペプチド)は、1989年に下垂体のアデニル酸シクラーゼを活性化する作用を指標に、ヒツジ視床下部から単離された神経ペプチドであり、神経伝達物質・調節因子としての働きや、神経栄養因子様の作用など、多機能を持つことが大きな特徴です。
当分野の橋本らは、1993年にPACAPに選択的な受容体PAC1の初のクローニングに成功し(Neuron 1993)、組織分布の解析によって、とくに脳に多く発現していることが分かったことから、その働きに興味を持ちました。そこで、遺伝子の詳細な発現分布や発現調節、細胞生理学的な研究に加え、PAC1受容体とPACAPそのものの遺伝子改変マウス(ノックアウトマウスなど)を作成するなど、遺伝子から個体に至る包括的な研究を実施しました。
PACAP遺伝子をノックアウトしたマウス(PACAP欠損マウス)は、新規環境での多動と衝動的なジャンピング(下の写真)、特異な情動の異常等を示し、PACAPが精神行動の調節に関わる脳内の分子であるという予測外の発見につながりました(2001 PNAS)。

PACAP欠損マウス(右)は著しい多動と異常なジャンプ行動を示す。野生型(左)は正常な遺伝子を持つマウス。

PACAP欠損マウス(右)は著しい多動と異常なジャンプ行動を示す。野生型(左)は正常な遺伝子を持つマウス。

 また臨床機関との共同研究(橋本亮太博士ら)では、ヒトPACAP遺伝子の一塩基多型(SNP)が、統合失調症の発症リスクに関連する可能性を示す結果が得られました(Mol Psychiatry 2007)
他方、末梢組織においては、膵臓でインスリンを分泌するβ細胞に特異的なPACAP過剰発現マウスを作製して解析し、PACAPがインスリン分泌を促進する作用のほかに、β細胞のturnoverに関与する可能性を見い出し(Diabetes 2003)、また生理的状態における血小板凝集への関与も示しました (J Clin Invest 2004)
PACAPの発見から20余年が経過しましたが、当初の予想を超えてその重要性が認識され、研究がますます盛んに行われている状況です。私たちは、脳のとくに精神機能調節と、膵臓の長期的な機能調節に関して、遺伝子改変マウスを駆使した研究を行い、その意味ではPACAP研究で世界をリードしてきたものと思います。橋本も執筆に加わったPACAPに関する代表的なレビューも参考にしてください (Pharmacol Rev 2009)

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2)新規創薬標的分子の探索と機能解析-HPGB,RegIIIβ,CRTH2

 膵臓β細胞PACAP過剰発現マウスあるいはPACAP欠損マウス(上述)の表現型変化の分子メカニズムを調べることを目的に、微小組織の網羅的遺伝子発現解析を行った結果、いくつかの興味深い因子やシグナル系が特定されました。
HPGBは、hyperplasia‐associated gene of beta cell (膵臓β細胞の過形成に関連する遺伝子)として名付けた機能が全く未知の遺伝子であったもので、これまでの研究により、ミトコンドリアの機能と融合・分裂というマクロな動態の制御因子であることが明らかになってきました。
RegIIIβは、急性の抗炎症因子として注目されているもので、私たちも、その病態的な意義に関する研究を進めています。
ところで、生体は昼と夜のリズムを持っていますが、このリズムは脳の時計を、朝・夕の明・暗の変化に同調させる機能によって維持されています。PACAP欠損マウスの光同調能を調べましたところ、明け方の光による位相前進、すなわち早起きする方向への調節が特異的に障害していることを見出しました (関連する最新の論文Kawaguchi 2010)。生体時計の機能不全は、季節性うつ病や、夜でも明るい現代の精神疾患リスクの一つであることから、時計中枢がある脳視床下部の視交叉上核での網羅的遺伝子発現解析を実施しました。その結果、位相前進性の光のみで発現増加し、PACAP欠損マウスではその発現が障害されている条件に合致するものとして、L型プロスタグランジンD合成酵素を見出し、現在その機能的な関与についての研究を実施しています。

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3)新たな方法論による精神疾患の分子病態と創薬の研究-セロトニン神経のin vitro分化システムの構築

 私たちは、新しい研究方法を導入して、従来の脳研究の手法と連結させて、精神疾患の分子メカニズムの理解や創薬につなげる研究にも取り組んでいます。
このような研究の一つであるセロトニン神経のin vitro分化システムについて簡単に説明します。セロトニン神経系は、抗うつ薬や抗精神病薬など、多くの精神疾患の治療薬の作用点に含まれるほか、臨床や基礎研究によって、セロトニン系の機能変化が疾患に関わる可能性が示唆されています。私たちは、マウス胚性幹(ES)細胞から、in vitroでセロトニン神経細胞を分化させるシステムの構築を試み、最終的に非常に簡便なプロトコルとして完成させることに成功しました。現在、これを用いてセロトニン神経の分化誘導のしくみに関する研究を進めています。

マウス胚性幹(ES)細胞からセロトニン(緑色で示す)を産生する神経細胞を、独自の方法で作製することに成功

マウス胚性幹(ES)細胞からセロトニン(緑色で示す)を産生する神経細胞を、独自の方法で作製することに成功

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4)iPS細胞を用いた精神疾患メカニズム研究と創薬への応用

 これまで患者由来組織を用いた疾患研究は、死後脳を用いたのものがメインでしたが、2007年に山中教授らによって確立されたiPS細胞化技術の出現により、精神疾患を抱える患者自身の遺伝情報をもった神経細胞を用いた研究が可能になりました。患者自身の遺伝情報をもった神経細胞を用いた研究は、精神疾患発症のメカニズムの解明に重要な役割を果たすと期待されています。私たちのグループでは、大阪大学大学院連合小児発達学研究科や大阪大学大学院医学系研究科等の多くの臨床研究機関と連携し、統合失調症等の疾患特異的iPS細胞から誘導した神経系細胞を用いて、疾患の発症メカニズムの研究を行っています。発症メカニズムを理解することで、新たな分子基盤に立脚した薬剤の開発に貢献したいと考えています。

疾患特異的iPS細胞

疾患特異的iPS細胞

iPS細胞から誘導した神経細胞

iPS細胞から誘導した神経細胞

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5)脳内全細胞を可視化する新たな解析手法を用いた精神・神経疾患の新たな中間表現型探索

 神経・精神疾患の病態解明には、脳をシステムバイオロジーとして理解する必要があるものの、その根底となる網羅的な全脳解析は、技術的な制限(画像撮影速度、全細胞の識別が困難など)によりほとんど行われてません。最新のMRIでも解像度が低いため、個々の細胞の変化を検出することができず、病態時に脳内でどのような変化が起きているかについては、わからないのが現状です。そこで私たちのグループでは、詳細な脳内変化をnon-biasで検出可能かつ、細胞レベルで多群間比較を簡便に行える新たな全脳3次元形態計測システムの構築をめざし、研究を行っています。

連絡先
〒565-0871
大阪府吹田市山田丘1-6
大阪大学大学院薬学研究科
神経薬理学分野
教授 橋本 均
TEL:06-6879-8182
FAX:06-6879-8184